hexarys
ワッツがこのような「退店のしやすさ」をあらかじめおりこんでおくのは、ダイソーが来たらすぐに逃げるという彼らの会社の戦略を着実に実行するためであるそうです。
夢は売るものであって、自分で買うものじゃないんだよ。
世界各都市の地下鉄網の形を分析したところ、それぞれ異なった歴史や地理的条件を持つにもかかわらず「同じ構造」になっていることがわかった。粘菌の成長パターンが実際の都市構造に似ているという研究結果とともに注目されている。

今日は娘りなの言葉の話です。りなは、先月3歳になったばかりです。日本語とロシア語という二つの言葉が負担なのか、個人的な特徴なのか、しゃべり始めたのはつい2~3か月前です。しかも、しゃべり出したのはなんと、ロシア語ではなく日本語でした。

私たちが今いる環境はどう考えてもロシア語の方がよく耳に入ります。子供たちとまる一日一緒に過ごすベビーシッターもロシア人ですし、幼児教室も当然ロシア語です。りながしゃべる言葉はロシア語になるだろうと、私たち夫婦は当たり前のように思っていました。

 しかし、ふたを開けてみたら日本語でした。

 家族4人でいるとき日本語でしゃべっているから、それが決定的だったのかなと思います。やはり、この年齢の子供は家族の方が一番影響が大きいのでしょう。あ、そういえば、日本語の環境が足りないことを心配して、アニメなども、ロシア語よりも日本語の方がよく見せていたということもあるのかもしれません。

 さて、りながしゃべり出して困ったのは、うちのベビーシッターです。7か月からりなの面倒を診てくれているのに、ここに来ていきなり話が通じなくなってしまったのです。「そうか、この子、外国人だったのね~」とベビーシッターは頭をかかえてしまいました。

 ただ、言葉が通じないといっても、りなの方はベビーシッターのロシア語を全部普通に理解しています。問題は、返す言葉は全部日本語のみ!仕方がないから、ベビーシッターは「見て」「どこ」などの簡単な日本語を必死に覚えようとしました。しかし、大人は三歳児に追いつくわけがない。りなが日に日にしゃべる言葉が増えるから、ベビーシッターは日本語を覚えるのをあきらめ、息子のゆうき(7歳)に通訳を頼むしかなくなりました。こうして、「いきなり外国人になってしまった子」りなとベビーシッターの不思議な暮らしが2~3か月続いたのですが、4月に入ってさらなる変化が起きました。

 りなは、ベビーシッターは日本語が通じないことに気づき、ベビーシッターに対してだけ、ロシア語をしゃべるようになったのです。

 普段なら私とベビーシッターは同時にりなのそばにいることはほとんどないです。しかし、この前子供たちを予防接種に連れて行ったときベビーシッターも一緒だったので、興味深い場面を観察することができました。

 おもちゃのゾウさんをとってほしいと、りなは私に向かって「ママ、ゾウさん」と日本語で頼んで、そのすぐ後にベビーシッターに向かって ”няня, слон”  と同じ内容をロシア語で言いました。そういう「ダブル」のセリフはいくつも飛び出しました。ベビーシッターと話してわかったのは、4月に入ってぐらいからゆうきの通訳が要らなくなり、りなは必要なことを全部ロシア語で言えるようになったそうです。

 しかし、私に向かってロシア語を一切しゃべらないので、わが娘のロシア語を聞けたのは、病院に行ったそのときだけでした。そして、私が観察できた範囲で言うと、りなは日本語の方がロシア語よりもずっと上手です。たとえば、日本語で普通に「文」を言えるのに、ロシア語はまだまだ単語レベルでした。

 この年齢の子供は自分の周りに違う言語が存在していることをどこまで理解できるのかわかりませんけれども、少なくとも大人のように「論理的」にはわかってないと思います。となると、ほとんど「反射的に」使い分けている、そういうことになるのかな?

 それにしても、いったい何でロシア人の母親に向かってちっともロシア語をしゃべろうとしないのだろう?ゆうきとしゃべるときなど、ロシア語をしゃべっている私を毎日のように目の当たりにしているはずなんですけど・・・。

 ちょっとナゾです。

今の大学生は、高校で情報が必修だったから、みんなコンピュータをちゃんと使えるのだろうと考えている人が結構います。これはとんだ勘違いです。家庭科はずっと前から必修でしたが、料理ができない大人はたくさんいます。

Twitter / @f_nisihara (via f-zi)

mcsgsym reblogged imai78:

(via tataraseitetsu)

パスワード忘れたからヒント見たんだけど「忘れるほうが悪いでーすwwwwwwwwピッピロピーwwwwwwwwwブフォwwwwwwwwwww」て書いてて過去の自分にこの上ない怒りを込めながら「ころすぞ」て入力したら、合ってた
低い利回りは、割引現在価値という魔法やクレジット・スプレッドの低下を通じて投資家にキャピタル・ゲインをもたらす代わりに、家計所得や企業収益を圧迫し始め、銀行業務、マネー・マーケット・ファンド、年金業界と関連する旧来のビジネス・モデルに大打撃を与えます。過去30年以上の間、私達が慣れきっている攻撃主体の投資運用の世界には、ゼロ%の下限金利という壁が立ちはだかっています。投資の世界にも、ディフェンスという新たな時代が到来しようとしています。

全く報道では取り上げられないような法律ですが、このように日の当たらないところに現在の日本の問題点が隠されていますので、是非皆さんにもお読み頂ければと思います。

前にTLに「日本でパンクなショーをやりたいなら鶏の首を切るとかじゃなくて炊きたての白米を床に叩きつけて土足で踏みつければいい。みんな絶対心の底から怒るよ」というのが流れきて「確かにそれは怒る!」と思ったので、それをカナダ人に話したら「えっ、なんでそれで怒るの?!」と言われた。
■高校生の頃、趣味で文芸同人誌の編集をした。僕は編集長だ。ただし、長といっても偉くはない。編集をしたのは僕一人だ。執筆を頼んだのは4人。皆頭が良さそうだったし、実際良かった。話も面白かったし、本も良く読んでいた。それで小説か、エッセイを頼んだのだ。皆、引き受けた。これで僕は編集が出来るぞと思ってウキウキした。レイアウトシートなども用意した。だが、すぐに問題が起こる。

■書かないのだ。誰も書かないのだ。一人もだよ。書くっていったのに。そんなのあるか。勿論、催促をする。いったい、いつになったら書くのか。すると皆、ハンでついたように同じ事を言うのだ。
「・・・書けない」(ため息をハァ、とつく)。

■だって打ち合わせをしたじゃないか。自信満々に内容を語ったじゃないか。ある一人などこうもいったはずだ。「もう、すべて頭の中にある。あとは書くだけさ」 でも、書かないのだ。一行も書かないのだ。なんだかんだと言い訳ばかりして結局一人も書かなかった。

■それで仲の良かったNに頼んだのだ。Nなら何とかしてくれると思ったのだ。Nは「小説などあまり読まないし、文章なども書いたことはないがまあ何とかしよう」と言い、2週間で50枚ほども書いてくれた。同人誌は、結果的にNの個人誌になったわけである。

■本が出来上がると執筆予定だった4人が現れて、Nの書いた文章をボロクソに批判した。曰く、Nの書いたものはある著名な小説家の文章に良く似ている。スタイルだけ借りた、志の無い駄作だと言うのである。

■僕は、こいつらはなんだろう、と思った。なんなんだよお前らは。

■4人の指摘は確かに当たってはいたのである。Nには書きたいモノなどなかったのだ。それはそうだ。だって僕に頼まれて仕方なく書いたのだから。だからある作家のスタイル-文体など-を借りて、内容はともかく、体裁だけはそれらしいものをと、形だけ、とにかく書いたわけである。それはまあ、僕にも分かった。

■しかしだからと言ってお前らはなんだ。

■きっとこういうことである。奴らは傑作を書こうとしたのである。 このオレ様が書くのであれば、その作品は大傑作以外にあり得ない、と鼻息も荒くだが平静を装うためコーヒーなどすすり書き始めたはずなのである。 一行書き、一枚書いてみる。 読み返す。陳腐である。おかしい。書き直す。読み返す。凡庸である。頭の中にあったときは世紀の大傑作だったものが、実際に書いてみるとコレは・・・という代物にしかならぬ。がっかりだ。こんなもの人目に晒すとバカにされてしまうかもしれない。何より自分が許せない。傷つくぞ、プライドが。悪夢である。

■で、その悪夢から逃れる素晴らしい方法があるのだ。書かなければいい。そして人の書いたぼろぼろの作品をバカにして心の平穏を取り戻すのだ。 バカ者だと思った。このばかめ。

■10年振りにNから連絡があった。小説家になれそうだというのである。ほんとかよ。夏くらいに文芸誌に短編がのるはずだ。なんと感動的な話だろう。

■最初Nには書きたいものは無かったし、書く技術もなかった。ソフトも、ハードも無かったということだ。だが必要に迫られて、ハードだけをどこかから借り受けて、ソフトの無い作品をでっちあげた。そして何作か書く内に、書きたいものが出来た。ソフトが出来たわけだ。だが、ハードはまだ借り物だ。まあでも兎に角書いてゆく。そして10年が経ち、いつの間にかハードも立派に自分製になっていた。自分の技術で、自分の言葉を書く、プロの物書きだ。おめでとう、N。